終戦記念日に思うこと
日記
今日は終戦記念日。
昼に市役所から流されるサイレンに合わせて黙とうし、御霊を慰めました。
私は昭和26年生まれ。戦争は体験してませんが、戦争の後遺症を少しは知る世代です。
戦場から復員してきたおじさんたちの話もよく聞きました。中には片足の人も。
鹿屋市には海軍航空基地があり、特攻機が飛び立ち若い飛行兵が尊い命を散らしました。
戦後は海上自衛隊に引き継がれ鹿屋航空基地として運用を開始。
私の家の近くだったものですから、子供のころは格好の遊び場でした。
現在のような厳しい警備環境ではなく、鉄条網で囲んだだけの比較的安易なもので、網の緩んでいるところから入り込み、自生しているグミを取ったり、藪の中を駆け回ったりしたものでした。
当時はまだ戦前からの格納庫や倉庫が結構残っており、壁には銃弾の跡があったような記憶があります。
子供のころは何も考えずに遊びまわっていただけですが、戦争の傷跡がそんな身近にもあったんですね。
ひるがえって今はどうですか。
安全保障関連法案を無理やり通過させ、自衛隊を厳しい戦場に向かわせようとしています。
私の周りには自衛隊の隊員さんがたくさんいます。その奥さんや子供さんもいます。
そんな隊員さんはもちろん、国民の多くが戦争に巻き込まれかねない情勢です。
安倍さん、戦争は二度とご免だ、という声を真摯に受け止めるべきです。
再考を強く願います。
昼に市役所から流されるサイレンに合わせて黙とうし、御霊を慰めました。
私は昭和26年生まれ。戦争は体験してませんが、戦争の後遺症を少しは知る世代です。
戦場から復員してきたおじさんたちの話もよく聞きました。中には片足の人も。
鹿屋市には海軍航空基地があり、特攻機が飛び立ち若い飛行兵が尊い命を散らしました。
戦後は海上自衛隊に引き継がれ鹿屋航空基地として運用を開始。
私の家の近くだったものですから、子供のころは格好の遊び場でした。
現在のような厳しい警備環境ではなく、鉄条網で囲んだだけの比較的安易なもので、網の緩んでいるところから入り込み、自生しているグミを取ったり、藪の中を駆け回ったりしたものでした。
当時はまだ戦前からの格納庫や倉庫が結構残っており、壁には銃弾の跡があったような記憶があります。
子供のころは何も考えずに遊びまわっていただけですが、戦争の傷跡がそんな身近にもあったんですね。
ひるがえって今はどうですか。
安全保障関連法案を無理やり通過させ、自衛隊を厳しい戦場に向かわせようとしています。
私の周りには自衛隊の隊員さんがたくさんいます。その奥さんや子供さんもいます。
そんな隊員さんはもちろん、国民の多くが戦争に巻き込まれかねない情勢です。
安倍さん、戦争は二度とご免だ、という声を真摯に受け止めるべきです。
再考を強く願います。
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