歴史探訪!たまにはいいかも
日記
【曇り・5度】
昨日散歩を兼ねて鹿屋城(別称・亀鶴城)を訪ねてみた。40数年ぶりかな。
鹿屋城(正確には城跡)は、我が街の北西に位置する山城で、今では一部公園化されている。

《今は公園化された城跡》 《狭い切通しが行く手を阻む》 《高い崖が侵入を防ぐ》
城郭は本丸、二の丸に加え中城、松尾城、大明城、今城、取添城の出城から成っていたとあるが、残念ながら現在では石垣すら残っていない。
とは言え現地に立つと、うっそうと生い茂った大木と隆起した火山灰大地をたくみに利用した城廻りの様子から当時の堅固さがうかがわれる。
この城の始まりは鎌倉時代の承久年間といわれ、支配者を替えながら連綿と続く。その間もこの城を中心に争いの攻防が繰り広げられたという。
当時中央では源平や有力御家人の争いが行われていたことは知られていましたが、我が街のような田舎でも殺し殺される壮絶な戦いをやっていたということ。
身近でもそんなことがあったんだ。そんな感慨を覚えずにはいられません。
故郷を知り、歴史を知る。たまにはこんなことも必要かな、と感じた一日でした。

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昨日散歩を兼ねて鹿屋城(別称・亀鶴城)を訪ねてみた。40数年ぶりかな。
鹿屋城(正確には城跡)は、我が街の北西に位置する山城で、今では一部公園化されている。



《今は公園化された城跡》 《狭い切通しが行く手を阻む》 《高い崖が侵入を防ぐ》
城郭は本丸、二の丸に加え中城、松尾城、大明城、今城、取添城の出城から成っていたとあるが、残念ながら現在では石垣すら残っていない。
とは言え現地に立つと、うっそうと生い茂った大木と隆起した火山灰大地をたくみに利用した城廻りの様子から当時の堅固さがうかがわれる。
この城の始まりは鎌倉時代の承久年間といわれ、支配者を替えながら連綿と続く。その間もこの城を中心に争いの攻防が繰り広げられたという。
当時中央では源平や有力御家人の争いが行われていたことは知られていましたが、我が街のような田舎でも殺し殺される壮絶な戦いをやっていたということ。
身近でもそんなことがあったんだ。そんな感慨を覚えずにはいられません。
故郷を知り、歴史を知る。たまにはこんなことも必要かな、と感じた一日でした。
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