小原國芳先生の名言 「自分!それでいいのか~」
日記
先日書いた池上彰さん関連記事の中で「これでいいのか!朝日新聞」のタイトルを使いました。
この、これ(それ)でいいのか!というフレーズ、私にとっては忘れがたいものであり、生きる指針ともしてきたものでした。
思い起こせば約50年前、当時中学生だった私の学校に一人のおじさんが講演に来てくれてました。
話の内容は一切覚えていませんが、一つだけ「自分、それでいいのか~」の言葉。それも指先で頭を突きながらというアクション付。
この言動だけが今もって頭に強く残っています。
以後何かを行う、選ぶという行動の中で「それでいいのか」の文言が常に私の中にありました。
その時講演してくれた人が、「全人教育」を唱え、人間教育に情熱を注いだ日本有数の教育者であった小原國芳先生であったことは後で知りました。
小原先生は1887年生まれ。満90歳で没。
小学部から大学までの一貫教育で知られる「玉川学園」を創設。最後の私塾者と言われています。
鹿児島県出身という縁で講演に来ていただいたのでしょう。現在の南さつま市坊津町久志出身。
腕白どもはそんな偉い人であることなど知る由もなく、聞き入っていたものでしたが、強烈なインパクトを残して行かれました。
小原國芳先生、さすがですね。
もっとも私自身、先生の教えは心にありましたが、どうやら選択そのものを誤ったようで会心の人生とは言えませんでしたね(笑)
会心と言えなくとも現在の生活にそこそこ満足していますから、良しとしましょう。
この、これ(それ)でいいのか!というフレーズ、私にとっては忘れがたいものであり、生きる指針ともしてきたものでした。
思い起こせば約50年前、当時中学生だった私の学校に一人のおじさんが講演に来てくれてました。
話の内容は一切覚えていませんが、一つだけ「自分、それでいいのか~」の言葉。それも指先で頭を突きながらというアクション付。
この言動だけが今もって頭に強く残っています。
以後何かを行う、選ぶという行動の中で「それでいいのか」の文言が常に私の中にありました。
その時講演してくれた人が、「全人教育」を唱え、人間教育に情熱を注いだ日本有数の教育者であった小原國芳先生であったことは後で知りました。
小原先生は1887年生まれ。満90歳で没。
小学部から大学までの一貫教育で知られる「玉川学園」を創設。最後の私塾者と言われています。
鹿児島県出身という縁で講演に来ていただいたのでしょう。現在の南さつま市坊津町久志出身。
腕白どもはそんな偉い人であることなど知る由もなく、聞き入っていたものでしたが、強烈なインパクトを残して行かれました。
小原國芳先生、さすがですね。
もっとも私自身、先生の教えは心にありましたが、どうやら選択そのものを誤ったようで会心の人生とは言えませんでしたね(笑)
会心と言えなくとも現在の生活にそこそこ満足していますから、良しとしましょう。
スポンサーサイト